ドライアイは全日本人の約20%、PC作業を長時間行うオフィスワーカーでは約65%の罹有病率が確認されている1、一般市民にとっても非常に身近な疾患である。ドライアイには日本における定義(表 1)と診断基準2(表 2)があり、アジア周辺国もAsia Dry Eye Societyを通じて専門家が意見交換をした結果、同じ定義と診断基準下で治療している。すなわち眼表面における涙液層の不安定化こそがドライアイの病態生理を考える上で最も重要といえる。この涙液の不安定化には眼表面にあるグライコカリックスの破綻が関与しており、グライコカリックスを構成するタンパクの一つであるガレクチン3の役割が注目されるようになってきた。この解説では眼表面における涙液の挙動を簡単にレビューし、涙液層の不安定化の病態生理に触れながら眼表面におけるガレクチン3について、正常眼とドライアイでどのような違いが生じているか、現在までに分かっている臨床と基礎研究の両方から本項で触れていきたい。 ...and more
悪性脳腫瘍の新たな治療法を開発すべく、ポドプラニン(Podoplanin; PDPN)という分子に注目している。PDPNとは、がん細胞の表面に多く出てくることが多いとされるタンパク質であり、特にがんの悪性化に関係があることがわかっている。PDPNが現れているがん細胞を標的(ターゲット)にし、がん細胞だけを攻撃することができれば、患者の負担が少ない状態で治療をすることが可能になる。 ...and more
シアル酸は、カルボキシル基という酸性基を有している「糖酸」と呼ばれる糖の仲間である。生体中の糖鎖を構成する単糖の多くが五つまたは六つの炭素からなる五炭糖、六炭糖であるのに対して、シアル酸は九つの炭素からなる九炭糖であり、糖鎖の関わる生命現象において多彩かつ重要な役割を担っている。恐らく糖のコミュニティーで一目を置かれる存在であるに違いない(と筆者は信じている)。糖鎖の化学合成では、シアル酸が糖鎖に含まれるとその難易度は飛躍的に上昇する。これは、シアル酸の特殊な構造がグリコシド化反応の成功率を著しく低下させるためであり、この問題の根本解決が半世紀以上にわたり模索されてきた。最近、我々のグループはこの課題を解決する一つの手法を開発することに成功した。本稿では、その手法について概説させていただく。 ...and more
細胞外マトリックス (extracellular matrix, ECM)は、脳のホメオスタシスに重要な役割を果たしていることが知られている。その作用機転は多岐に渡るが、成長因子や栄養因子、神経伝達物質などを介してニューロンやグリアの制御に関わることが明らかになってきている。また、発達期の神経新生や軸索の伸展に細胞外マトリックスが関ることは従来から知られていたが、成体の海馬においてニッチと呼ばれる神経幹細胞の微小環境を形成しており、神経幹細胞の分裂やニューロンへの分化に関わっていることが近年分かってきた。コンドロイチン硫酸プロテオグリカン (chondroitin sulfate proteoglycan, CSPG)は、脳の細胞外マトリックスの主要な分子の一つであり、コアタンパクとグリコサミノグリカンの側鎖によって構成されている。本稿では、アルツハイマー病の治療に用いられているメマンチンの神経幹細胞のニッチに対する作用の研究に基づき、抗認知症薬の新規ターゲット分子としてのCSPGの可能性について概説する。 ...and more
ウイルス感染は、ウイルスエンベロープ上の糖タンパク質を介して、標的細胞表面にウイルスが吸着することから始まる。この感染の第一ステップであるウイルス粒子の細胞表面への吸着には糖鎖が関与する。本稿では、我々のグループが実施した単純ヘルペスウイルス1型(HSV-1)の感染に関わる宿主因子のCRISPRスクリーニングの結果を中心に、ヘパラン硫酸を介した細胞表面へのウイルス粒子の吸着について概説したい。 ...and more
リビトールリン酸はバクテリアの細胞壁成分であるタイコ酸の構成分子として知られる糖アルコールリン酸である。2016年、マトリクス受容体であるジストログリカンという膜タンパク質に修飾される糖鎖の成分として、脊椎動物細胞においてもリビトールリン酸が存在することが明らかになった。同時に、リビトールリン酸の生合成に関する酵素群も明らかになったが、これらの酵素をコードする遺伝子の異常は筋ジストロフィー発症の原因となる。リビトールリン酸修飾のメカニズムが明らかになるとともに、リビトールリン酸異常型筋ジストロフィーに対する治療法開発が熱を帯びてきた。本稿では、リビトールリン酸の発見の経緯と現在提唱されている治療戦略を紹介する。 ...and more
IgGはFcγRや補体を活性化する一方で、自己免疫疾患においては血漿IgGからなる免疫グロブリン製剤(IVIG)が抗炎症作用を発揮する。IVIGは現在まで40年以上の長きにわたり自己免疫疾患治療の選択肢として使われており、その相反する作用機序について諸説あるが、未だに結論は出ていない。近年開発された化学酵素的糖鎖改変技術によって、ポリクローナルIgGの糖鎖をリモデリングする事が可能となった。我々は、非還元末端がシアル酸残基2、ガラクトース残基2、またはガラクトース残基0のフコシル化および非フコシル化糖鎖を持つIgGを作成し、抗炎症作用について検討した。その結果、ガラクトシル非フコシル化 [(G2)2] IgGが免疫細胞のFcγRIIIa分子に結合し、抗体依存性細胞障害を阻害することによって抗炎症効果を発揮することを証明した。(G2)2 グリコフォームはIVIGの一成分であるが、この活性成分のみからなる糖鎖改変IVIGは次世代の抗体医薬候補である。本稿ではIVIGの抗炎症機序における糖鎖の役割について最新の知見を紹介する。 ...and more
抗体医薬は、抗体ヒト化技術と生物製剤の製造技術の発展、そして優れた薬効により、急速に普及してきた医薬品である。今日、ブロックバスターには多くの抗体関連薬がならび、抗体医薬は医薬品として確固たる位置を占めるに至ったと言える。一方で、疾患特異的な治療に適した標的の枯渇が進んでおり、抗体医薬の開発では次世代の標的抗原の探索が重要な課題となっている。
我々は難治がんである悪性中皮腫に対する特異的がん抗原の探索を行っている。中皮腫は優れたがんマーカーが長らく見つからず、病理診断にも苦慮する「特徴の薄い」がんであった。我々が開発した抗中皮腫抗体は、新規タンパク質抗原の「中皮腫特異的な糖鎖修飾を含む糖ペプチド領域」を認識し、中皮腫の診断と治療に貢献する新規抗体医薬シーズとして、また、糖鎖を標的とする創薬シーズとして極めて有望な抗体である。本稿では、その研究開発の経緯と今後の臨床応用への展望について紹介したい。 ...and more
糖タンパク質の多様な糖鎖構造から生じる生物学的プロセスを理解するためには、糖鎖構造が均一な合成糖タンパク質を基質として用いた解析が有効である。我々は、より迅速な糖タンパク質合成法の確立を目的とし、分子内アシル基転位を高度に制御した新規アミド結合形成反応の開発を行った。結果、糖鎖結合アスパラギン及びペプチドを化学選択的に縮合させ、ペプチドへの収斂的な糖鎖ビルディングブロックの導入を可能とするジアシルジスルフィドカップリング(DDC)を開発することに成功した。またDDCを用いて、糖鎖を2つの無保護ペプチドの両末端に選択的に縮合させ、数ステップで糖タンパク質を合成する新規合成法を開発した。本稿では、我々が近年研究を進めている化学的糖鎖挿入法を用いた糖タンパク質合成の新たな展開について紹介したい。 ...and more
ヘパラン硫酸(HS)は、ヒドラや線虫からヒトに至るほぼ全ての動物細胞表面および細胞外マトリックス中において、コア蛋白質に結合したプロテオグリカンとして存在する。HS鎖は不均一な構造をとり、硫酸化度が高い領域(硫酸化ドメイン)とそれらを繋ぐ殆ど硫酸基のない領域から成っている。その生理機能は多岐にわたり、成長因子、形態形成因子、サイトカイン、酵素、細胞外マトリックス蛋白等との結合を介して、関連する生理活性を調節している。各機能蛋白質に対するHSの結合特異性は、主として硫酸化ドメインの構造に依存すると考えられている。 ...and more
心筋梗塞や脳梗塞などの心・脳血管疾患はいずれも血管のアテローム性動脈硬化性疾患により引き起こされる。アテローム性動脈硬化性疾患は日本人の死亡原因の約25%を占め、国民にとって重大な脅威であり、その克服に対する社会的ニーズは極めて高い。
アテローム性動脈硬化に対する治療法としては、従来、高血圧、糖尿病、脂質代謝異常症などに代表される心血管疾患発症の危険因子をコントロールすることが中心であった。実際にレニン・アンジオテンシン系抑制薬やスタチン製剤によって各危険因子のコントロールが可能となりつつあるが、依然として心血管疾患が増加している事実を踏まえると新たな治療戦略の確立が急務である。
アテローム性動脈硬化の発症・進展機構として、貯留反応説が提唱され注目されている。早期動脈硬化の発症では血管壁におけるLDLコレステロールなどの脂質の貯留が病態の起点であるとするものであり、最近その貯留には血管内膜のコンドロイチン硫酸鎖の構造、特にその長さが密接に関与していることが示唆された。
そこで私たちは、「コンドロイチン硫酸鎖の長さを修飾することで脂質の貯留を減少させ、ひいてはアテローム性動脈硬化症の予防や退縮が可能である」という仮説を構築し、これを検証する研究を実施した。その結果を以下に概説する。 ...and more
近年のCOVID-19パンデミックの原因でもある新型コロナウイルスSARS-CoV-2は、ヒト細胞に感染する初期段階において、ウイルス表面に存在するスパイクタンパク質がヒトACE2受容体に結合する。この過程においてスパイクタンパク質の構造は「ダウン型」から「アップ型」へ変化することがクライオ電顕実験により明らかになってきた。また、スパイクタンパク質の表面は多くの糖鎖によって修飾されていることが生化学実験から分かってきた。糖鎖には抗体からの防御、即ち免疫回避の役割があると考えられてきたが、スパイクタンパク質の構造変化における役割については分かっていなかった。本稿では、筆者らが行ったスパイクタンパク質に対する分子動力学シミュレーションにより明らかになった糖鎖の役割について解説する。 ...and more
ラクトフェリン(LF)は、自然免疫で機能するグリコサミノグリカン結合タンパク質であり、その作用からバイオ医薬品としての応用が期待されている。筆者は、脊髄損傷を効果的に回復させる新しい治療薬の創出を目指しており、最近LFが神経軸索の伸長を阻害するコンドロイチン硫酸E(CS-E)と結合し、その毒性を中和することを発見した。そして神経保護作用をもつ顆粒球コロニー刺激因子(G-CSF)とLFを融合した高機能LFを開発した。ここでは、筆者らが開発した糖鎖結合能と神経保護機能を融合した高機能LFについてご紹介したい。 ...and more
澱粉は植物が光合成産物として生産する多糖であり、穀類、芋類、および豆類など人類の主食である身近な食品に含まれている。澱粉は食品・食品添加物にとどまらず、糊やバイオプラスチックなどの素材としても工業的に利用されている。澱粉は規則正しい分岐構造から成るアミロペクチンを主成分としており、アミロペクチンの構造は食味・物性に影響を与えることがわかっている。アミロペクチンはスターチシンターゼ、枝作り酵素、枝切り酵素など複数の酵素群によって生合成されるが、構造を制御する仕組みはわかっていない。アミロペクチンの構造を制御する仕組みを明らかにすれば、意図した構造・性質のアミロペクチンを作れる可能性がある。これまでに著者らは、枝作り酵素が生産する分岐鎖の長さを制御する仕組みを明らかにしてきた。本稿ではアミロペクチンの構造と性質、構造を制御するために解決すべき課題、および枝作り酵素の研究の現状について概説する。構造を制御したアミロペクチンの生産が可能となれば、食料自給率の向上および脱炭素化などに繋がり、わが国の発展に貢献すると期待される。 ...and more
接木(接ぎ木)は2つの果樹等をつなぎ合わせて、それぞれの種の利点をあわせもった植物を栽培する技術であり、古来より農業の技法として利用されてきた。植物細胞を取り囲む細胞壁は複数種の多糖類からなる細胞外マトリックスをなし、植物の種類によってその構成は異なる。接木は、接ぎ合わせた二種類の植物の細胞壁が、その境界部において再構成されることで細胞・組織が接着することで起こると考えられる。本稿では我々が最近明らかにした、人為的な植物の接木が成立するメカニズムと、自然界でも起こる植物同士の癒合との共通性について細胞壁の主成分であるセルロースの消化酵素の機能に注目して紹介したい。 ...and more