氏名:楠 進
東京大学・医学部神経内科
糖脂質や糖蛋白質などの複合糖質(Glycoconjugates)は細胞膜表面に存在し、細胞間相互作用や細胞接着などに関与していると考えられている。近年の研究により、自己免疫機序による免疫性末梢神経障害において、複合糖質の糖鎖を認識する抗体が上昇することが明らかになってきた。免疫性末梢神経障害には、ギラン・バレー症候群(Guillain-Barré syndrome, GBS)、GBSの亜型であるフィッシャー症候群、IgM paraproteinemiaを伴う末梢神経障害、慢性炎症性脱髄性多発根神経炎(chronic inflammatory demyelinating polyradiculoneuropathy, CIDP)、CIDPの亜型のmultifocal motor neuropathyなどがある。ある種の糖鎖に対する高い抗体価の抗体の上昇は、免疫性末梢神経障害に特徴的にみられるものであり、診断マーカーとして用いることができる。患者血中に上昇する抗糖鎖抗体は、かならずしも神経障害性をもつとは限らない。しかし複合糖質は細胞膜に存在し、各々の分子種が特有の分布を示すため、ある種の抗糖鎖抗体は対応する抗原の局在部位に結合し、特定の細胞や構造を選択的に障害する因子となる可能性をもつ。抗糖鎖抗体にはさまざまなものがあるが、以下に代表例として臨床的意義の大きい抗GQ1b IgG抗体について述べ、またガングリオシドGD1bの免疫による実験的感覚障害性失調性末梢神経障害を紹介する。
フィッシャー症候群は眼筋麻痺・失調・深部反射消失を三徴とする疾患である。多くの場合に呼吸器感染や消化器感染などの感染が先行し、急性に発症して単相性の経過をとり、急性期を過ぎると病勢はおさまり回復していく。これらはGBSと共通する特徴であり、GBSの亜型とされている。フィッシャー症候群では、急性期の血中に高頻度(90%以上)にガングリオシドGQ1bに対するIgG抗体の上昇がみられる。またGBSの部分症状として眼筋麻痺を伴う症例にも抗GQ1b IgG抗体の上昇が認められる。抗GQ1b IgG抗体は発症直後の患者血中に既に上昇しており、臨床症状の改善とともに低下・消失する。またフィッシャー症候群やGBS以外の病態で眼筋麻痺をきたす疾患では同抗体は陰性である。これらの点から診断的意義はきわめて高い。抗GQ1bモノクローナル抗体による免疫組織化学的検討では、眼筋を支配する脳神経のRanvier絞輪部周囲のミエリンに特異的にGQ1bの局在が認められた(図 1)。傍絞輪部ミエリンはGBSにおいて最初に病理変化のみられる部位であり、神経の刺激伝導に重要な部位でもある。従って抗GQ1b IgG抗体の眼筋を支配する脳神経の傍絞輪部ミエリンへの特異的結合が、眼筋麻痺を引き起こす可能性が強く考えられる。抗GQ1b IgG抗体上昇の機序としては、大部分にみられる先行感染が免疫系を刺激するというメカニズムが考えられる。消化器感染の場合の先行感染因子のひとつであるCampylobacter jejuniでは、菌体表面にガングリオシド様の糖鎖構造をもつことが示されている。しかし抗GQ1b IgG抗体陽性症例の先行感染は大部分が呼吸器感染であり、同抗体上昇と関連する特定の先行感染因子はまだ同定されていない。
図 1 抗GQ1b IgG抗体の眼筋麻痺発症機序における役割
抗GQ1b IgG抗体は眼筋を支配する脳神経(動眼神経・滑車神経・外転神経)のRanvier絞輪部周囲のミエリンに局在するGQ1b抗原に結合し眼筋麻痺をきたす。他の脳神経や末梢神経にはこのようなGQ1b抗原の局在はみられず、抗GQ1b IgG抗体は作用しない。
GD1bのジシアロシル基を認識する抗体は、感覚障害性失調性末梢神経障害に特異的に関連する。後根神経節神経細胞に局在することが知られるGD1bでウサギを免疫すると、感覚障害性失調性末梢神経障害を実験的に作成できる。この動物モデルは、ガングリオシドに対する免疫反応により明らかな神経症状を伴った実験的末梢神経障害が引き起こされることを示すとともに、抗ガングリオシド抗体が「抗原となるガングリオシドの局在に対応した特異的な分布をもつ障害」をきたす因子となることを示したものである。
スペースの関係で触れなかったが、その他の抗糖鎖抗体についてもそれぞれの臨床的意義が解析されつつあるところである。今後さらにあらたな抗糖鎖抗体がみいだされることが予想され、それらを通じて免疫性末梢神経障害の病態がより詳細に解明されていくことが期待される。