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糖鎖のイオンモビリティースペクトロメトリー

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 糖鎖の化学構造の決定は、糖鎖機能の役割を理解するために重要なステップとなる。現在、糖鎖構造の解析には、検出感度の高い質量分析(Mass spectrometry: MS)が主要な役割を果たしている。しかし、糖鎖の質量分析においては、糖鎖構造の微視的不均一性や異性体の識別に課題がある。糖鎖の異性は、その結合様式(α/β)、結合部位(1-2/1-3/1-4/1-6など)、構成糖(Glc/Gal/ManおよびGlcNAc/GalNAcなど)の違いにより生じる。そのため、質量分析を用いた糖鎖構造解析では、通常フラグメントスペクトルのデータに基づいて最も可能性の高い構造(群)を割り当てている。糖鎖異性体の分離は、液体クロマトグラフィー(Liquid chromatography: LC)を中心にして行われている。LCを用いた糖鎖の分離モードには、順相、陰イオン交換、逆相などがある。これらを組み合わせた多次元分離も行われている。その中でも、高極性の固定相を用いる親水性相互作用クロマトグラフィー(Hydrophilic interaction liquid chromatography : HILIC)は、幅広い分子量領域にて試料の分離を可能にする。近年、イオンモビリティースペクトロメトリー(Ion mobility spectrometry: IMS)が、糖鎖異性体を分離するための補完手段として利用されている(1)。IMSは、気相における電気泳動と見なすことができる。イオン化された試料は、電場存在下でヘリウムあるいは窒素ガスが存在するドリフトチューブ内を移動する。その際、イオンの移動速度が、その衝突断面積(collision cross section: CCS、Ω)、電荷数(z)および質量によって異なることを利用して試料を分離する技術である(図1)。移動速度(Vd)は電場の強さ(E)に比例し、移動度(K)との間に次の関係が成り立つ。
 Vd = K×E
上式は、イオンの電荷数(z)と衝突断面積(Ω)の関数として次のようにも表される。
 Vd = C (z/Ω)E      (Cは定数)
ここで、Ωは試料イオンと緩衝ガスとのCCSであり、同一ガス圧下においてはそのイオンに固有の値となる。そのため、質量が等しい糖鎖異性体などの立体異性体のペアでも、そのCCSが異なる場合は、原理的にそれらを分離することが可能である(図2)。

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図 1
イオンモビリティースペクトロメトリーの原理

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図 2
シアロ糖鎖異性体のIMSによる分離

 CCSは、試料イオンがドリフトチューブを移動する時間(ドリフトタイム, tD)から算出することが可能である。また、CCSは糖鎖の立体構造と密接に関係するため、その相関関係を調べる実験・理論研究がおこなわれている。N-結合型糖鎖の分岐度とCCSの関係を調べたところ、一定の相関が存在することが認められた(2)。またいくつかの2本鎖N-結合型糖鎖の分子動力学計算が行われ、それらのCCSを算出したところ、実測値と比較的よい一致を示した(3)。各糖鎖のCCSを計算により予測することができれば、未知糖鎖のIMS分析をサポートすることにつながり、また逆に実験的に求められたCCSから、糖鎖の立体構造に関する情報を引き出すことも可能である。このようにIMSは単に糖鎖の異性体分離の手段としてだけでなく、糖鎖の立体構造に関する知見を増やすことに貢献することが期待されている。

 IMSはその分離のタイムスケールがミリ秒であるため、MSやLC/MSとの相性がよい。これらを組み合わせることでLCの溶出時間や質量とCCSを関連付けることが可能になる。このような装置の組み合わせにより、糖鎖構造の迅速な分離・同定が可能になると考えられる。2006年にイオンモビリティー質量分析法(IM/MS)の商業装置が上市されて以来、IM/MSは一般的な手法になっている。最近では、IM/MSの分離能を向上させるため、試料イオンの移動部を環状路とし、そこを周回させることで移動距離を増大し、分離度を高める環状イオンモビリティー(cyclic ion mobility: cIM)装置が開発されている(4)。

 糖鎖構造を迅速かつ正確に同定するためには、これら糖鎖に関する情報を統合したデータベースが必要になる。蛍光標識のない遊離糖鎖のCCSデータを収録したGlycoMobデータベースが公開されている(5)。また、蛍光団としてピリジルアミノ(PA)基をもつN-結合型糖鎖に対して、CCS、保持時間および質量電荷比(m/z)のデータセットを報告した論文もある(図3)(2)。液体クロマトグラフィー/イオンモビリティー質量分析法(LC/IM/MS)からCCS、保持時間、m/zを測定してデータベースとの照合から糖鎖を同定することが可能になる。タンパク質中には1,000種類以上のN-結合型糖鎖が存在すると見積もられており、これらを網羅するには、さらに各糖鎖のデータを追加で収集しデータベースを拡張・改良することが必要であろう。

 イオンモビリティースペクトロメトリーを組み入れた装置による糖鎖構造の確実で迅速な同定は、糖鎖の機能的側面のより深い理解につながり、抗体医薬をはじめとするバイオ医薬品の品質評価にも役立つと考えられる。

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図 3
データベースの作成と糖鎖構造同定の概念図

真鍋 法義(東北医科薬科大学分子生体膜研究所糖鎖構造生物学教室)

References
(1) Yamaguchi Y, Nishima W, Re S, Sugita Y: Confident identification of isomeric N-glycan structures by combined ion mobility mass spectrometry and hydrophilic interaction liquid chromatography. Rapid Commun. Mass Spectrom. 26, 2877-2884, 2012
(2) Manabe N, Ohno S, Matsumoto K, Kawase T, Hirose K, Masuda K, Yamaguchi Y: A Data Set of Ion Mobility Collision Cross Sections and Liquid Chromatography Retention Times from 71 Pyridylaminated N-Linked Oligosaccharides. J. Am. Soc. Mass Spectrom. 33, 1772–1783, 2022
(3) Re S, Watabe S, Nishima W, Muneyuki E, Yamaguchi Y, MacKerell AD Jr, Sugita Y: Characterization of Conformational Ensembles of Protonated N-glycans in the Gas-Phase. Sci. Rep. 8, 1644, 2018
(4) Giles K, Ujma J, Wildgoose J, Pringle S, Richardson K, Langridge D, Green M: A Cyclic Ion Mobility-Mass Spectrometry System. Anal. Chem. 91, 8564-8573, 2019
(5) Struwe WB, Pagel K, Benesch JL, Harvey DJ, Campbell MP: GlycoMob: an ion mobility-mass spectrometry collision cross section database for glycomics. Glycoconj. J. 33, 399-404, 2016

2023年 6月15日

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